2020年02月06日

なぜ、点滅信号が1つしかない愛媛の町で、みかん農家の後継者が続出し、他県から優秀な若者たちが次々移住してくるのか?

なぜ、点滅信号が1つしかない愛媛の町で、みかん農家の後継者が続出し、他県から優秀な若者たちが次々移住してくるのか?

社長(夫)と私の、農業の原点のひとつ。
愛媛県西予市明浜町、無茶々園。

点滅信号が1つしかない、海辺の超田舎町(←失礼)なのに、やってることが何しろスゴイ。
45年前、たった3人の農家から始まった、みかんの有機栽培。いまや参加農家は70軒。町の漁師、真珠養殖業者、近隣の柑橘・米農家ともタッグを組む。
新規就農者の受け入れ、野菜の有機栽培。ジュースから化粧品まで様々な加工品開発。さらに、給食サービスや介護施設の運営、果てはベトナムでの胡椒栽培…。

グループ全体での売り上げは9億円(2018年)

私は大学卒業後の7年間を、無茶々園がある明浜町(現・西予市)で過ごしました。

最初は、みかん栽培の研修。

1年後、君には畑よりほかの道のほうがいいんじゃない?ということだったのか事務局に入れていただき。

私は機関誌の編集、加工品開発、消費者との交流事業などなど、色々やりました。ソフトクリーム屋さんをやったこともあったなあ・・・。

次々と生まれる新しいアイデア、新しい事業。いつのまにか無くなってしまった事業もあり。

思い返すとそれこそ「無茶苦茶」なことばっかりだったけど、今となっては過激=先進的なことやってたんだなって思います。

過激でもやってこれたのは、人の層の厚さ。うまくバランスをとってくれる人が周りにいらっしゃいました。私も、たくさんのたくさんのお世話になった方々の顔が思い浮かびます。

「年齢や職業、立場が違っても、一緒にこの町で幸せに笑って、死ぬまで暮らしていこうや。」
そんな一貫した思いが、無茶々園にはありました。

「地域を活性化しよう!」
じゃあ、そのために、具体的に、何するの?っていうとき。

もしかしたら、地域活性化とかって、舵取りを行政にゆだねがちだったりしません?
でも、無茶々園は、もう40年以上も一農家、一民間人としての立ち位置でそれをやってきて、確実に結果を出してきました。2016年には農林水産省祭表彰事業のむらづくり部門で天皇杯を受賞しています。

そんな面白いこと、自分たちでやらない手はない!って感じで。

あらためて、リスペクト。
そして見習いたい。

そんなわけで、2月12日に無茶々園代表の大津清次さんの講演会が中川村でありますよー。
夫がよびました。

これから私たちの住む地域を元気にしていくための、ヒントがたくさん見つかるかも。
一般の方も入場可能です。立ち聞きになるかもですが、ぜひお越しください♪

もっと大きい会場とっても良かったくらい!

あと、頼まれてもいないのに、私が勝手に横で無茶々園の伊予柑、ポンカン、ジュース、ひじき、ハンドクリームなんかを販売しちゃいます。

品質に自信あり。昨年の豪雨災害の支援にもなればな、と。

ご来場お待ちしておりまーす。

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【講演会詳細】

「農業でよかったのか!無茶々園40年の取り組みから言えること」
(株)地域法人無茶々園 代表 大津清次さん講演会

伊南認定農業者交流会
2月12日水曜日 14:00~
JA上伊那中川支所 2階 ひのきの間
(一般の方も参加いただけます

入場無料ですが、お買い物してってください(笑)


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